第8章: かけがえのない同居者たち: 小章1

病気の再発

私に〝病名〟がついたのは
猫が逝ってまもなくのことだった。

でも、自主的に
病院に行ったわけではなく…。

その当時
私は、父の介護や母のこと。

またその時の
父のケアマネージャーさんとの
相性の悪さから
ほとんどノイローゼになってた。

決定的に症状が悪化したのは
父が車の免許を返納しないと
意地を張ったこと…。

私は
それで事故があったら
家族の責任になってしまう。

どうしたらいいのか。

…と、とても不安な毎日を
送ってた。

そんな時。

新しく
父のケアマネになった方が。

私の状態を見かねて
今の心療内科を
紹介してくれたのだった。

ピンとこない

初診では
どんな内容を話したのか
もう覚えてない。

ただ、誰かにすがりたくて
助けてほしいのに。

それを自分で認められず
先生の前では
元気に振る舞ってた
ような気がする。

でも、30分ほどの問診で
うつ病と診断された。

その時の私は、特に
何も感じなかったように思う。

だって、自分には変わりないから。

それに、当時はまだ
今よりずっと動けていたし
やろうと思えば
仕事もできたレベルだった。

というのは
本人がそう思っているだけで
たぶん主治医の先生は
休養をとるべしと
宣告したはず…。

でも、私はそれを覚えてない。

投薬が開始されたけど
自分が病気であるという自覚が
ぜんぜんなかった。

今ならそれは違うと思うのだけど。

当時は、寝てなんかいられない
介護があるんだから
と思ってた。

母の面会にも
行かなければならないし
父を病院に連れて行ったり
しなければならない。

休んでいる場合ではない。

というのが
当時の率直な心境だったと思う。

やれない自分を受け入れられない

そしてなおかつ
自分の病気を認められない私は
とにかく〝やれている自分〟を
保っていたかった。

あるコミュニティに参加して
活発に発言したり。

カンファレンスがあれば
そこでプレゼンをするとか。

そういう活動に没頭した。

そのコミュニティで
一冊の本を出版することになって。

その筆頭メンバーとして
参加したり。

かなり精力的に活動してた。

でも仲間とうまくいかなくなって
コミュニティを退出した。

そのショックは大きかったけど
それでも気丈に振る舞った。

でも
活発に活動すればするほど
病気は密やかに進行していった。

ある時期から
少しずつ動けない日が
増えていった。

昼間
突然どうしようもない
眠気に襲われて。

倒れ込むように
眠ってしまうことが多くなった。

自分を激しく叱咤しなければ
やるべきことすら
手につかなくなっていった。

しばらくして
主治医の診断により
双極症であることがわかった。

その時点で
私は自分の中に。

複数の人格が
存在していることを
自覚してたけど。

そのときはまだ、そのことを
主治医に伝えられていなかった。