Act04: 布石: section10

ディオン

…どこへ…。

♪♪♪
 ♪♪♪
  ♪♪♪
 ♪♪♪
♪♪♪…。

「…あ…」

当てのなくなってしまった
僕の耳に
ふと
※1ディオンの音色が届いた。

…そう…だ…。

畠さんはシナイを出るとき
〝ディオンを聴こう〟…と
僕に言った…。

…ディオン…。

畠さんは良く
あの音が、音律が
好きだと言って…。

…たっ…。

僕はディオンの音律を追って
走り出した。

たったったったっ…。
…たったっ…。

ディオンは
いつも同じ場所で
弾いているわけではなかったから
その音律を頼って
探し出さなければならなかった…。

でもそれも
楽しいじゃないか…と言って。
…畠さんは…。

だけどいつも
僕の耳に任せると言って
自分では探さなかった…。

好きだと言ったのは
自分なのに。

…たったっ…。
「あ……」

僕の視界に
ディオンの姿が入った…。

♪♪♪
 ♪♪♪
  ♪♪♪…。

音律がより強く
僕の耳に響く…。

僕は少しゆっくりと
その音律に近づいて行った。

♪♪♪
 ♪♪♪
  ♪♪♪…。

ディオンのその指使いまで
見える距離に近づいたとき…。

「あっ…」

ディオンの右手首に
見覚えのある時計が見えた。

「あ…あのっ」

♪♪♪
 ♪♪♪
♪♪♪…。

演奏が止んで
ディオンが僕を見た。

「あ…の…すみません…。
 あの…」
「やあ。これは。お美しい方。
 私めに何か。リクエストでも
 ございましょうか?」

ディオンは。
軽快な調子で僕に応えた。

「あ…い…え…。あ…えっと…。
 あの…。その…時計は…」
「はい?時計…でございますか?」

「あの…その右手首の…それ…」
「おお。これでございますか。
 これは。そこのお客様が。
 チップだと言って。
 私にくださったのですよ」

「え…そこ…?」
「はい。そこ…。お…おや~?」
「……」

「む~。変ですなぁ。
 今までそこで私めの演奏を
 お楽しみくださっていたのに…」
「……」
「おかしいですなぁ…?
 ちょっとの隙に
 席を立って…?」
「……」

「おお。きっと。
 そうにちがいありません。
 きっと。ほら。アレでしょう。
 アレ」
「…あれ…?」
「そうですとも。いや~。
 アッパー・クラスの方でも
 用足しはなさるんですねぇ。
 はい」
「……」

「大丈夫。お美しい方。
 すぐに戻ってらっしゃいますよ。
 どーせもう。ライナーも
 終わってしまったことですし。
 他の地区でうろうろするよりは。
 このカナンで。
 私めの演奏を聴いていた方が。
 よっぽど。よろしい。おほん」

ディオンは
少し胸を張って言った…。

でも…。
…本当に…。
待っていれば会えるんだろうか…。

…あのメール…。
あの…画面…。

「おお。お美しい方。
 御仁とけんかでも
 なさいましたか?
 どうか。そんなに
 悲しそうなお顔をなさらずに」
「…ッ…」

「どうか私めの演奏を聴きながら。
 御仁のお帰りを
 お待ちしましょう。ご一緒に」

そう言うと。
ディオンは再び。
演奏を始めた…。

♪♪♪
 ♪♪♪
  ♪♪♪
 ♪♪♪
♪♪♪
 ♪♪♪
♪♪♪…。

少し物悲しいような…。
…ディオンの奏でる音律…。

♪♪♪
 ♪♪♪…。

畠さんは…。
記憶があると書いてあった…。

…ディオンの…音も…?

♪♪♪
 ♪♪♪
♪♪♪…。

聴いていた…。

プライベートで会うのは
それ程頻繁ではなかったけれど…。

会所で会えば
ほとんどカナンに来て…。

シナイで飲んだ。

畠さんはいつも
マゼンタで…。

…たわいのない…話を…。

♪♪♪
 ♪♪♪
♪♪♪…。

僕が
あんまり口を聞かないから…。
いろんな話を…。

「……」

ふいに僕の目から
…涙…がこぼれた…。

なぜ僕は…。
泣くのだろう…。

…さっきシナイ…でも…。

♪♪♪
 ♪♪♪…。

「おおおお。泣かないで。
 どうか。お美しい方。
 私の演奏では。
 慰めになりませんか」

ディオンが急に演奏を止め
僕に話し掛けた。

「…い…いえ…。そ…うじゃ…」

僕はあわてて応えた。

だが
そう言うそばから
…涙が…伝って…。

こんな…に…。
…覚えている…。

畠さんの…こと…。

これを…すべて
…忘れてしまう…?

なかったことに
…して…しまう…?

それは…。
…それ…は…。

「…おじいさん…」
僕はディオンに言った。

「…2MUSETTEを
 聴かせてください…。歌も…」

MUSETTEは
畠さんが一番好きな曲だ…。

「おおおおお。よろしいですとも。
 お任せください。
 MUSETTEは。
 私めの得意中の得意で
 ごさいます!」

♪♪♪
 ♪♪♪
  ♪♪♪…。

ディオンはそう言うと
すぐに弾き始めた。

そして老練な声で歌い出した…。


※1ディオン … 大道芸のアコーディオン演奏。
※2MUSETTE … フランスのシャンソンなどのポピュラーな舞踏音楽のことで、アコーディオン中心のバンドで演奏される活発なワルツの一種。曲のタイトルにもなっている。


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